第9回「行動を頭に合わせよう」(3)−業者の品格、顧客の品格−
前回は2つの問題点を提起した。
@ トラブルの多くは顧客発である
A 契約という概念に弱い
この問題を解決しないとITプロジェクトは決して成功しない。逃げずに体を動かそうと提案した。
今回はこの1ヶ月の出来事で私が感じたことを申し上げる。フランスのリール大学マスター学生向け夏季セミナーの話である。私自身も最近のP2Mの研究成果を発表したが、この講座の主役はPMAJの田中理事長で、昨年リール大学からPhDを贈られた。彼はPMI(米国),IPMA(欧州)、AIPM(オーストラリア),PMAJ(日本)で構成されるグローバルPMフォーラムのチェアマンである。彼の講座には各国から参加した教授、講師が詰め掛け、議論が白熱する。P2Mが戦略や価値創出のPMだという紹介に、PMP資格者のコンサルタントから疑問点が出された。PMP資格者の評価基準に戦略や価値創出が含まれない。米国という資格社会はMBAがやる仕事を行うと越権行為になるようである。逆に資格がないと仕事ができないことになる。
このことは何を意味するかお分かりだろうか。米国では構想計画はMBAが既に実行し、構想計画に基づいて契約し、契約書に基づいてPM資格者が正しく仕事をいていることを意味している。これは社会の約束事である。この約束事は日本を除く、グローバルで実行されていることである。
社会的概念としてPMはPM資格者というプロフェッショナルな人材を集め、プロジェクトマネジャーが指揮をしてプロジェクトを価値あるものにしている。
では、日本の現状はどうであろうか。プロジェクトは資格者を特に必要としていない。企業の人事部に行くと、資格を取って何の役に立ちますか、という答えが返ってくる。「資格を取ってもすぐに役に立たないよな」という陰の声が聞こえる。しかし、日本では素人でもプロジェクトに参加できる。顧客もこれを容認している。欧米のプロジェクトは専門家を集めて、オーケストラを演奏している。音色が綺麗だから世界中で演奏できる。日本では素人を集めてOJTというその会社でしか通用しない教育方法で育成したメンバーでオーケストラを演奏している。グローバルという音色がでず、ローカルという音色である。この状況で一人前のお金が取れるのだろうか。日本でPMが始まってから50年になるが、現状はこの通りである。グローバルに通用するのは「業者の品格」の問題となる。
他方日本の顧客はどうであろうか。自分が要求するものが何であるか、正しく理解していない。自分が買いたいものの要求を満足に示すことができないが、「顧客は偉い」という伝統的な習慣を楯に、納期とコスト削減を当然のことと厳しい要求をしてくる。これは「顧客の品格」の問題である。
賢明な皆さんはどちらの社会が仕事をしやすく、優れた仕事ができるかお分かりかと思う。
「国家の品格」だけでなく、ビジネスにも品格が必要で、グローバルとはグローバル標準という品格の中で勝負していることを理解する必要がある。
そこで2番目に感じた点を申し上げる。8月30日にPMAJ(日本プロジェクトマネジメント協会)はPMシンポジウム2007年を開催した。ここでは基調講演とトラック講演でプロジェクト成功のための「リスクマネジメント」と「顧客の要求仕様」の問題が取り上げられた。いずれもPMO(プロジェクトマネジメントオフィス)が社長直轄でプロジェクトの赤字化からの脱出を心がけている。特に要件定義に関しては顧客だけでは無理な点があり、顧客に業者案を提案し、そのつめを行うが、ある程度の要件定義が整わない場合はリスクが大きすぎるとのことを顧客に申し上げ、辞退しているという話が聞けた。「できないこと」を「できないとする」ことは「業者の品格」の一つであり、これらの動きは喜ばしいことである。すべての業者が顧客に逆らえるほど強くないことも事実であるが、日本的習慣を脱して、グローバル化する転換期に来ていることは確かである。
2006年9月に発行された「社員力革命」をお読みいただきたい。
中国人から見た各国企業の評価をみると、働きたい企業国籍で欧米企業が1位、韓国2位、台湾、香港3位、中国4位、日本5位と最下位である。この厳しい結果は日本企業に対するバッシングではない。日本企業の経営者、経営者を補佐する人事部門の相対的な無策が原因である。世界で戦う欧米企業、アジア企業の取り組みの大きさと深さ、投入するエネルギーの量を比較した場合、相対的に日本企業は後退していることに起因している。
次回は「目的があって仕事がある」である。
以上
|