【PMサプリ1:コミュニケーションを変える】
コミュニケーションと情報は別物である(ドラッカー)
【効用】
・PM体質改善
リーダーシップ発揮、顧客感度アップ、リスク管理能力アップ、自己統制力アップ
・PM力向上
ピープルマネジメント力向上、チームをまとめる力の向上、リスク対応力向上
・トラブル緩和
モチベーション向上、チームの士気向上
【成分】
コミュニケーションを情報伝達や情報交換だと思っている人が多いが、コミュニケーションと、情報は本来関係のないものである。これはドラッカーがコミュニケーションの4原則の一つとして指摘していることだ。
ドラッカーによると、コミュニケーションは知覚の対象であり、情報とは別である。ちなみに知覚とは、「外界にある対象や出来事に気づき、それと自分の差を認識する
プロセス」(広辞苑)である。
さらにドカッカーは「情報は感情、価値、期待などの人間的属性を除去すればするほど、有効となり、信頼性が高くなる」という指摘をしている。確かに情報というのはそういう性質がある。プロジェクト、期待や勘定、価値などの人間的属性が混じった情報で混乱するというのはそう珍しいことではない。例えば、進捗が遅れている、このときに、報告するリーダーは部下に期待をして、「問題ない」という「情報」を発信する。しかし、期待は見事に裏切られ、大きなトラブルの引き金になっていくといったことはおおよその人は経験があるのではなかろうか?
つまり、コミュニケーションをすることは、ある意味で情報交換をすることとは対極にあるのだ。にも関わらず、これを同じものだと認識し、コミュニケーションだと称して上に述べた意味で質の悪い情報交換を繰り返す悪癖は断ち切りたいものである。
では、コミュニケーションとは何か。「思想、意見、情報を伝達しあい、心を通じ合わせるプロセス」がコミュニケーションである。コミュニケーションの目的は伝達す
ることではなく、心を通じ合わせること、つまり、「共通認識」を作ることである。
多くのプロジェクトで、共通認識を情報共有が混同されている。
例えば、1日1枚、全部で30枚のタイルを貼る作業があったとしよう。1枚のタイルを貼る所要時間は1時間であり、1日の10%である。開始から20日目までに貼ったタイルの枚数は18枚。ここまでが情報である。
これを作業者から聞いたプロジェクトマネージャーは遅れていると「知覚」した。が、問題視するほどではなく、簡単にリカバーできると思い、「もう少し、ペースを上げよう」と声をかけて終わった。ところが、作業者本人は、たまたま、今月は季節の変わり目で体調が悪く、有給で2日休んだから18枚で遅れていないと「知覚」していた。それで、相変わらず、1日1枚のペースで進めた。結果、30日後、2枚を残すこととなった。
情報伝達ができているが、コミュニケーションのできていない典型例である。コミュニケーションをするというのは、「2枚の遅れがある」という事実の解釈についてどのように考えるかという点を議論し、共通の認識を作り上げることである。
この文章を読んでそんなアホなと思われたかもしれない。自分の行動をチェックしてみてほしい。このようなコミュニケーションは意識しないとなかなかできないものだ。
コミュニケーション計画をつくると、だいたい、情報伝達ルールを作る。どのような情報を、いつ、どのように伝えるかといったことだ。しかし、本当の意味でのコミュニケーション計画は、「何を共通認識するか」を定めるものだ。上の例でいえば、進捗コミュニケーションのルールとして、「進捗をどのように考えるか」を意識あわせすることをコミュニケーションの計画に明記しておく必要があるのだ(進捗報告だけに関していえば、アーンドバリューマネジメントはそのような考え方になっている)。
このような例はプロジェクトの中で枚挙に暇がない。例えばリスクマネジメントである。リスクマネジメントは不確実性への対処であるので、一段とコミュニケーションの重要性が高い。リスク識別をした際に、そこに表現されたリスク事象に対して共通の認識がなく、異なることを想像しているというのはよくあることだ。
つい先日も経験したことで、計画段階で、仕様変更によって「要員のスキル不足が起こる」といったリスク事象を掲げていた。要員というのが何を意味するのかの共通認識はなかった。要員というのを外部からの調達要員も含めたものだと考えていた人(社外派と呼ぶ)と、社内(&そのプロジェクトに参画している企業の範囲)だと考えている人(社内派と呼ぶ)がいた。実際にそのリスク源になる仕様変更を行うかどうかの判断をする場面が来た。社内派は社外人材を探せば対応できるという認識があり、仕様変更しようと言った。しかし、社外派は反対をした。社外にも対応できる人材はいないという認識があったためだ。結果として、社内派が押し切り、仕様変更を決定し、調達を始めたのだが、社外派の認識どおりの結果になった。コミュニケーションができないままに、仕様に関する意思決定をしたことになる。
このような事態を起こさないためには、コミュニケーションを情報伝達と混同せず、共通認識ができるまでしつこくやっていくという姿勢が必要である。
このような姿勢ができたとしてもコミュニケーションはそんなにやさしいものではない。その理由として最もやっかいなものに、ドラッカーが4原則の一つに上げている「知覚を期待しているもののみを知覚する」という理由がある。コミュニケーションを行うに際しては、相互の期待がある。例えば、進捗コミュニケーションの中でプロジェクトマネージャーは進捗に対する情報がほしいと考えていたとする。すると、報告者が状況の説明(事実)に加えて、評価(遅れているかどうか)を伝えても耳を貸そうとしないことが多い。それは自分の判断すべきこととばかりの態度をとる。これではコミュニケーションの成立しようがない。
これに対して傾聴という行為を思い浮かべた人がいるのではあるまいか?先入観を持たずに耳を立てることは重要である。しかし、上の問題は傾聴では片付かない可能性が大きい。先入観を持たないことが重要なのではなく、同じコンテクストを持つことが重要だからだ。つまり、コミュニケーションの場面で、お互いに何を知覚することと期待しているかを理解することが必要である。このために行うべきことは2つ。
一つはコンテクストをコミュニケーション計画として作ることである。もう一つは、日常的なコミュニケーション(これを要求充足的コミュニケーション)を丁寧に行い、相互の信頼関係を構築しておくことである。
(2005年11月3日号より) |