はじめに
今まで、何人かの方から、適当なタイミングで総集編をやってほしいという意見を頂戴している。また、先日、ある人から、初回から読んでいるがあらすじが分からなくなってきているという意見も戴いた。
そこで、前回の区切りでストーリー編(アクティビティ)だけで20回を超え、また、年末ということもあって、ちょうどよい切れ目であることもあるので、今回は総集編をお届けしたい。
最後には今後の展開の予告編もあります!
◆アステックの誕生
アステックは2000年に初芝電気の社内ベンチャーとして生まれた。初芝電気では、90年代の前半より、まだ、ベンチャー企業であったリアルソフト社のOS RTーXPに注目し、パートナーとして日本の普及事業を力を入れてきた。主な応用先は、産業用機械、発電プラント、工場のライン、交通制御システム、宇宙用機器、極限作業ロボットといったいわゆる重厚長大の産業だった。その事業で中心的な役割を担っていた相楽健介(45歳)は、今後のリアルタイムOSの応用先としてコンシューマ商品の可能性を感じ取っていた。そこで、木村慎一(36歳)を誘い、社内ベンチャー制度を利用して、アステックの企業に成功した。アステックの主事業は
1.コンシューマ商品向けプラットホームの開発
2.プラットホーム上でのアプリケーション受託開発事業
であり、出資者と比率は
相楽 4000万円
木村 1000万円
初芝エレクトロニクス 1億円
USJ銀行 5000万円
であった。
◆アステックのスタートアップ事業
アステック社では、初年度は、すべてのエンジニアリングリソースをRT−XPのポーティングに投入することに決めた。2000年の間に営業の杉浦が動き、2つのターゲットを決めた。
カーエレクトロニクスではホンダ電子工業の汎用プロセッサに移植することを決めた。ホンダ電子工業は自動車電装装置、ナビゲーションシステムを中心に30%程度のシェアを持ち、日本では日本電子とトップシェアを分け合っている。
家電の中では家事ロボットに着目し、東京電子工業のロボット用プロセッサを選択した。東京電子は初芝と深い関係にあるために真っ先に話が決まったが、ロボット用のプロセッサではトップシェアを持つメーカの一つである。
これらのプロジェクトのリーダーには、アステックが新たに採用した神原弘と横田信弘が担当することになり、それをRT−XPポーティングプログラムとして木村がマネジメントにしていくという体制で取り組むことになった。
◆アステック側のプロジェクトの立ち上げ
アステック側では、ホンダ電子から三上達彦エレクトロニクス事業本部長、山口信也設計部長を交えて、プロジェクトの構想作りにかかった。両社でプロジェクトイメージの確認、スコープ分担の確認などを踏まえながら、マイルストーンを仮決定した。
その上で、プロジェクトリスクの分析にかかった。また、ホンダ電子側からの品質要求も加味して、以下のようなマイルストーンを最終決定した。
2001年1月末 既存のアプリケーションの特性分析完了
2001年2月末 品質レベルとメトリクスの決定
ポーティング方針の決定と計画策定、技術問題の解決完了
2001年3月 新規アプリケーション設計開始
2001年5月末 RT−XPポーティング作業完了
2001年6月末 チューニング
2001年9月末 アプリケーション組み込み完了
また、ホンダ電子とのスコープ分担として
アステック ホンダ
ホンダ向けRT−XPの設計 ◎ ○
RT−XPのポーティング ◎
RT−XPのトライアル ○ ◎
RT−XP上でのアプリケーション設計 ◎
RT−XP上でのアプリケーション開発 ◎
◎:主担当 ○:サポート
という分担を決めた。
◆ホンダ電子側のプロジェクトの立ち上げ
一方、ホンダ電子側でもプロジェクトの立ち上げが始まった。ホンダ電子側は、プロジェクト規模も多いことから、プロジェクトマネジメントチームを組み、進めていく。
プロジェクトマネージャーは専務の船田和夫、その補佐を曽田リカが務める。そして、パートごとに電装、操縦、駆動、エンジン制御、装備制御、ユーティリティの6つのチームからなり、それぞれ以下のメンバーがリーダーを任された。
操縦系:青柳秀和(41歳)
駆動系:杉本一平(41歳)
エンジン制御:近藤薫(45歳)
装備制御:守山俊二(42歳)
ユーティリティ:野村真琴(38歳)
自動車の計装は、従来、電装が専用のプラットホームを作り、そのプラットホーム上に各パートごとにアプリケーションを展開していくという作り方をしていた。ところが、今回、ポーティングするとはいえ、汎用のプラットホーム(OS)を導入することが、ほぼ、トップの決定として決まってしまったことに一同が非常に批判的だった。
山口や三上の必死の努力、そして、アステックの木村のミーティング参加、プレゼンなどによりその先入観も徐々にほぐれ、技術的な安心感はまだないものの、とにかく、進めれてた方向に進もうという合意が形成されてきた。
◆アステック側の計画
アステック側は、決まったマイルストーンを山口経由でホンダ電子に投げるとともに、その決定を待つまでもなく、自分たちのポーティング作業の計画を始めた。すでに、ある程度、下交渉を山口の方でしていたからであr。マイルストーンを守るという前提で、WBSの作成、工数を見積もり、OBSの決定、RAMの作成など、オーソドックスな方法でプロジェクト計画を策定していった。
あらかた計画ができたところで、後は、マイルストーンについてホンダ側との協議を残すのみとなった。
◆ホンダ側の計画
一方、ホンダ側でも、計画策定、リスク分析などのプロジェクトの立ち上げを船田と曽田を中心にしながら進めてきた。一連のプロセスの中で、ことあるごとに、RT−XPというプラットホームへの不安が顔を出す。リスクだけではなく、スケジュール、品質などあらゆる場面で、顔を出すのだ。
船田の巧みな操縦で、そのような困難を乗り越えながら、アステック側から提示された一連のマイルストーンを受け入れる形で計画ができた。各パートごとにおおよその骨組みは以下の通りである。
プラットホームの特性把握(0.5ヶ月) 4月前半
設計→開発(1) (1ヶ月) 4月後半〜5月
設計→開発(2) (2ヶ月) 6月〜7月
設計→開発(3) (1ヶ月) 8月
チューニング(1ヶ月) 9月
しかし、計画ができたものの、不安が払拭されたわけではない。そこで、木村が山口と結託して一計を案じた。プラットホームの特性把握を前倒しにして、1月に予定されているアステック側の「既存のアプリケーションの特性」との共通化を図ろうというのだ。
◆ワークショップの開催
その手段として、2人はワークショップの開催を企てた。お互いに技術的な理解をし、また、技術的な不安を取り除くという目的なのだが、それ以外に、信頼関係の構築をするという狙いがあった。
ワークショップのテーマは「安定性の見極め」というテーマだった。ワークショップのファシリテーションを任されたコンサルタントの高橋はたくみにワークショップを導き、見事な演出で、信頼性の構築を実現した。
第1回のワークショップは無事終わり、議論のレベルでは、お互いにアプリケーションのプラットホームとしての安定性が見え、さらには、ホンダ電子側のアプリケーションの特性もある程度分かった。これからは築かれた信頼の上に、実際の確認作業を行っていくことになる。
何よりも、収穫だったのは、それまで半信半疑、あるいは、消極的だった何人かのリーダーの姿勢が変わったことである。かくして、315プロジェクトもようやく、先にかかっていた霧が晴れ、みんなが全力で前進する準備が整ったのだ。
◆これからの展開(予告編)
というわけで、21回分をさっとふり返ったが、これからいよいよ、315プロジェクトは開発フェーズに突入する。その中で315自体の開発計画の変更があったりする中で、その計装プロジェクトをいかにコントロールしていくかを描いていく予定である。
一方で、アステック内部ではもうひとつのプロジェクトである東京電子工業の家事ロボットの開発の開発が本格化する。これに伴い、アステックの内部では、両方のプロジェクトにどのようにリソース配分をしていくかに苦心する。いわゆるプログラムマネジメントであるが、この様子についても描いていく。
(2004年12月9日号より) |